おじいちゃんに手紙を書こう!!
こんにちはツカゴシです。
突然ですが、皆さんは尊敬する人と言われると誰を思い浮かべますか?
歴史上の人物の他に現在も活躍している有名人や、身近なところだと担任の先生や学校の先輩。
お父さんやお母さんなど人によってその答えは様々だと思います。
私はというと尊敬している人は数多く居るのですが、中でも小さい頃からおじいちゃんっ子だった私にとって祖父は外せない存在です。
御歳78歳の後期高齢者でありながら去年までバリバリ現役で働いていた祖父。
祖母が寝ている所を見て
「安らかに寝てるから永眠したのかと思った」
と言ったりと今なお強烈なエピソードを数々生み出しています。
因みに私が祖父関連のエピソードで1番好きなのは「若い頃は毎朝同居している痴呆の曽祖父を全裸にしてトイレに縛り付けてから出勤していた」話です。パッと見暴力的ですが心温まる介護エピソードでした。
そんなそこそこキャラの濃い祖父ですが、普段から教養がいかに大切であるか周りに執拗いくらい説いていて、どうやら私をはじめ孫たちの進学支援には惜しみなく出資をしてくれていたようです。
出資のことは両親の話で発覚したことで、普段会う時は全くおくびにも出さない祖父。私ももし子供が出来て孫ができることがあるなら見習おうと思いました。
地元にいた頃は毎月1度は顔を見せに祖父の家に行ったものですが、コロナウイルスの流行以降80歳手前の老夫婦の家でバイオテロを起こすことを恐れて1年ほど会えていません。
定期的に苺や梨を一人暮らしの僕に送ってくれるのでお礼の電話くらいはするのですが矢張り話をする機会はめっきり減りました。
まぁ仕方ないよね
で済ませることも出来ますが、相手はどう贔屓目に見ても老い先短い年寄りです(長生きはして欲しいけど)。
モタモタしているとちゃんと話をする前に勝手に逝かれてしまいます。
しかも我が家の人間は死因の8割がくも膜下出血。
多くの場合訃報が突然来るので故人と一緒にやろうと思ってた事とか、故人の為にしようと計画していた事を実現できないままお別れなんてことが結構ありました。実際祖父も高血圧で去年の暮れには脳血腫が見つかり治療をしていました。現在は治ったようで元気にしているようです。
じゃあそんな祖父と今のご時世どう関わろうか。
毎日電話をかけようか??
しかしいくら退職後で暇な祖父とはいえ日々の予定くらいはあるようで、用もないのに電話をかけるのも気が引けるものです。そこで思いついたのが
手紙を書こう
という原始的な方法でした。
話す機会が減ったからおじいちゃんと話すために手紙を書こう!というのもまたなんだか突飛な発想な気がしましたが、手紙なら少なくとも相手の予定を邪魔することはありません。
それに祖父的にも手元に残るものの方が受け取って嬉しいのではと思い立ち、私はそそくさと手紙を書く用意をするのでした。
用意したのは
- 封筒
- 便箋
- 万年筆
普段はボールペンの方が使い慣れてるのですが高校生の時に祖父がくれた万年筆があったのでそちらを使うことに。
念の為コロナウイルスのことも考えて、手を洗いマスクをしてテーブルを拭いた上で作業に取り掛かりました。抜かりないですね。
さて、思い立って筆を執ったは俗世が浮き立つクリスマスイブの23時30分のこと。同じ世代の人間達が性矢でセイヤセイヤして聖夜を盛夜にしているであろうこの時間帯に敢えて祖父へのお手紙を書くことで、人間性という点については奴らに完璧な敗北を与えられたような気になれました。
※個人の感想です
さて筆を執ってから15分が経ちました。
元々「死ぬ前におじいちゃんと話さないと!!」というバレたら失礼なうえに浅はかな理由で始まったお便りコーナーです。何を書こうかなんて一切考えていなかった私はただ呆然と卓の前で正座をしていました。
書きたいことが皆無だったわけではないのですが、本当に書きたい本旨のところまで繋げる手紙の導入部分を考えるのって結構難しいんです。
こういう時は先方から来た手紙を見直してみて、同じような導入から入ればよいと紀貫之も言っていたような気がします。
祖父からは夏頃に1度お手紙を頂いているので早速見直してみることに。
御歳78歳。社会人の付き合いでお便りを出したことも沢山あるに決まっています。
しかも社会人時代にはバブル崩壊やリーマンショックを経験した歴戦の戦士です。
そんな厳しい社会を生き抜いたベテランオタヨラーの導入は如何に書かれているのでしょうか…!
─拝啓
おじいちゃんは毎日犬の散歩をしているよ。
元気にしてますか。─
うーーーーーーーーん!
ベテランオタヨラーの導入は「拝啓」から繋げていいとは思えない実にフランクなものでした。
犬の散歩をしているよ
は恐らく
おじいちゃんは元気にしているけどそちらは元気にしてますか?
的な導入を目指したんでしょうが。
突然の犬の散歩をしているよからの元気にしてますかという力技チックな繋げ方を目の当たりにした僕は奥歯に葱が挟まったような違和感を覚えました。そして「拝啓」を頭に入れる手紙は「敬具」で締めくくるというルールがあったような気がするのですが祖父の手紙は
またお会いしましょう
で終わっていました。
参考にならねぇ!
そう思った私は再び筆を置いてしまいました。
しかし考えてみてください。このお便りは78歳のベテランオタヨラーによるお便り。時代的に言うと終戦からコロナショックまでを生き抜いている猛者なのです。
そんな類まれなる猛者である彼の手によって生み出されたお便りに間違いなどある筈がありません。
宛名の書き方や時候の挨拶のような基本的な事から封をする時ののりの付け具合や切手の角度といった細かい所まで。
彼のゆく道こそが正義!
まさに歩くお便りのルールブックなのです!
そう思い直し作業を再開した私の筆にもう迷いはありません。気付いた時には
─拝啓
こちらは雪の量が多いですが雨も多いのですぐに溶けて無くなってしまうので虚しいです。
お元気ですか。 ─
という完璧な導入を書き上げていました。
模範に忠実というのは「真似事」と批判されることもありますがひよっこオタヨラーの私ですから、
こんなものでご容赦頂きたいと思います。
まぁ誰だって最初は先人の真似事から入るのです。
そんな感じで最初の難所を突破したツカゴシ。
あとは相手が読みやすいように配慮しつつ自分が伝えたいことを書くのみです。
全体としては近況の報告と年の瀬も近いので1年間のお礼といった感じになりました。
これでおじいちゃんが急に死んでもとりあえず後悔は無さそうです。いや会って話がしたいんだから長生きしてもらわなきゃ困るんだけど。
さて文章も終盤です。
あとは最後に「良いお年を」と書くだけ…
と思ったその時。
私はある事に気付いてしまいました。
12月24日夜に描き始めたこの手紙が回収されるのは早くても12月25日です。
世間はクソスマスで浮き立っていますが2020年も終盤。郵便界隈は年賀状配達の準備で多忙を極めているはずです。すると通常郵便物の優先順位が下がるので、普段よりも配達が遅れる可能性が出てきてしまいます。
しかも2020年の12月25日は金曜日なので直ぐに日曜日を挟みます。日曜日は通常郵便物の配達は基本的にお休みです。そうなるとせっかく「良いお年を」で締めくくった手紙が正月以降に届くなんて事態が起こりかねません。
なんだそんなことか
と思うかもしれませんが良いお年をというのは通常その年にもう会う機会がない人に対して使うものです。もしかしたら正月に「良いお年を」と書かれた文書を見て
2021年はお前に会うつもりないでーす(ハナホジ)
と受け取られてしまうかもしれません。
これはゆゆしき事態です。
かと言って年明け前に「あけましておめでとうございます」と書かれた文書が届くのも変ですし第一あけましておめでとうございますに関しては文頭に添えるものなのでもう修正が効きません。悩みに悩んだ末私が出した答えは…
─またお会いしましょう!!─
でした。
結局先人の真似事が無難かつベストなんです。
身の丈にあった文章になったと思います。
さて二度の難所を切り抜けた僕。
文が不安だったので3回ほど読み返しましたが子細無さそうでした。
あとは宛名を書いて切手を貼って封をして投函するのみです。
ポスト前まで来てみると、僕が予想していた通り年賀状とそれ以外の郵便物で枠が別れていました。
いつ届くかは分かりませんが祖父に喜んで貰えるとうれしいですね。
さて長くなってしまいましたが今回の記事はこんなもので切り上げようと思います。最近急に寒さが厳しくなってきましたので皆様におかれましても風邪などひかれないようお体にお気を付けて、良いお年をお迎えくださいませ。